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2007年06月25日

村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』書評

 村上春樹・柴田元幸の『翻訳夜話』(245+XVページ、'00年10月、文春新書129)を読んだ。翻訳が好きでたまらない二人の著者によるとりとめのない翻訳談義が、東大生〜若手翻訳家による質問に答える形で綴られている。
 本書は出たときから知っていた。このフォーラム2で収録されている翻訳学校の生徒を交えての討論の頃、私はその学校に通っていた。出版翻訳志望でも私はノンフィクション系だったから、柴田先生とは面識もなく、この討論会にも参加はしなかった。それどころか、私はこの二人の著書・訳書をこれまで全く読んだことがな い(汗。


目次
翻訳の神様 まえがきにかえて 村上春樹

フォーラム1 柴田教室にて
 偏見と愛情 かけがえのない存在として
 作家にコミットすること 雨の日の露天風呂システム
 ビートとうねり

 東大で柴田の講義に村上がゲストで登場し、柴田や学生が村上に質問する形で進められる。

フォーラム2 翻訳学校の生徒たちと
 「僕」と「私」 he said she said
 テキストが全て ヒントは天から降りてくる
 日本語筋肉トレーニング 翻訳の賞味期間
 百面相と自分のスタイル kidneyオブセッション
 「涙目」と「あばずれ」 越えられない一線
 複雑化する愛

 バベル翻訳・外語学院の生徒を前にしての同様のフォーラム。

海彦山彦 村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳す
 村上・カーヴァー「収集」
 柴田・カーヴァー「集める人たち」
 村上・オースター「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」
 柴田・オースター「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」

 互いに得意で既訳も出している作家を二人があえて入れ替えて翻訳したもの。原文も巻末に収録。

フォーラム3 若い翻訳者たちと
 "Collectors"の「僕」と「私」
 良いバイアス・悪いバイアス 訳者というペルソナ
 作家に義理はあるか? トランスレイターズ・ハイ
 声の大小 I Don't know you
 キュウリみたいにクール 二人のオーギー
 再び賞味期限 カキフライ理論
 カポーティとフィッツジェラルド

 若手翻訳者6人を交えてのフォーラム。上記「海彦山彦」を素材とする内容だが、著者による原文の謎解きから始まり、若手も自らの経験を持ち出し、かなり高度に切り込む。

あとがき 柴田元幸


 読みながらのメモが多すぎて全部まとめられなくなってしまった。著者の作品に触れていなくてもそうなるのは、当然私の翻訳への思いと重なる部分が多いからである。

 翻訳雑誌等に「あれこれできないと翻訳家になれません」とあるのを見ると、翻訳できなくなる(笑)と言う柴田には特に同感だ。インターネット以前のニフティの翻訳フォーラムに関しても、最初からやたら敷居が高いと感じさせられて入る気も起きなかった。
 ネチケットなんてのもほとんどは常識をわきまえていればすむのだから、ネットの特例だけ書けば済む。昔は、ネチケットを振りかざしてやたらネットの特異性を強調している輩が多くて閉口したものだ。

 有名作家でありながらこれほど多数の翻訳も手がける村上の経歴については気になっていたが、実は翻訳を趣味で始めており、作家になることなど考えてもいなかったらしい。しかし、英語の名文を解明したい思いが高じて、結果的には作者としての文体を得ることになる。
 村上が小説と翻訳の仕事の交替で精神的バランスを取っているのは興味深い。文体を初めとして村上は小説と翻訳の違いを強調するが、直訳調の翻訳と翻訳調の文体は本人が主張するほど別物ではない。翻訳調を文体に取り込んだ作家は多いが、これほど顕著な人は珍しいのではないか。

 読んでなかったのにここまで言えるのは、DHCの単発セミナーに参加したときに宮崎尊先生から「村上の訳は意外にあっさりした直訳調」と聞いたからでもある。そのときの課題レイモンド・カーヴァーのSo Much Water So Close To Homeが、なんと村上の初めての翻訳作品だった。
 これは村上が言うようにたしかに傑作だ。私もこれが入っている短編集を買って読んでみたが、他はオチが分からないものが多くて半分くらいでほっぽり出してしまった。どうも現代の病めるアメリカのリアリズム小説というのがそもそも肌に合わなかったのだ。傑作を除いては。

 「海彦山彦」のカーヴァーのCollectersで二人の訳を比べると、断然村上に軍配を上げたくなった。ややつっけんどんで、行間の含意まで訳に出そうとする柴田とは対照的だが、これがカーヴァーには合っている。作家としてのカリスマ性や単に私が先に読んだからと言えなくもないが。
 もう一つオースターの作品も、村上を先に読んだせいか村上の方がいいと思ってしまう。読後冷静になると柴田のうまさも見えてくるが、「どうだうまいだろう」というファインプレーなのだ。本人の意図を後で読んでやはりと納得させられた。「海彦山彦」より「海千山千」と言うべきだ。

 すっかり村上派になってしまったが、私自身が柴田同様、伝統的システマティックな翻訳勉強法を経てきたから、柴田同様、村上に憧れるのは当然かもしれない。村上の翻訳調の具体例は、彼自身が質問に答える会話の中にすら見られる。
 p.42で「…、ほとんどどこにもいかないんじゃないかな」と、質問に答えているが、これはgo nowhereの直訳としか考えられない。これはオースター訳(p.153)でも出てくる。小説『ねじまき鳥クロニクル』内の「個人的にとらないでくれ」(p.221)を英訳者に「そんな表現は日本語にない」と言われた話は傑作だ。Don't take it personally.と、いかに英訳しやすいにしても。
 他にも(p.222)、「キュウリみたいにクール」cool as a cucumber、「犬のように死ぬ」die like a dog、後者はどこかで見た気がする。凡人がやれば、押しつけがましい下手な英語信者と片づけられるところだろう。

 村上は翻訳中にジャズを聴いているらしいが、原文と翻訳の関係を曲と演奏にたとえるところでは(p.89)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番を引き合いに出し、バックハウス、グールド、ケンプ、ブレンデル、ポリーニと挙げている。このメンツでグールドが2番目なのが見逃せない(笑。
 しかし、作家の背景よりあくまでテキスト重視を主張する点では、作曲家と楽譜の関係とは異なる。それでも、カーヴァーの下手な初期作品は、見るに見かねて内容を変えない範囲で訳し直したらしい。これをストコフスキー流の楽譜改竄と言えば言いすぎだろうが。
 そういえば、小説をまず英語で書いてから和訳したという話で、桑田佳祐がまずでたらめ英語で曲を作った話を連想した。私も、アプローチは全く違うだろうが、文章のリズムはかなり重視する。

 私の悲劇は小説が翻訳のきっかけでなかったことかもしれないが、それでも進む道は見つかりつつある。文体や作風にも向き不向きがあるからいいことばかりではないはずだ。フィクションを勉強がてらに英語ばかりで読んでいけば、私も村上のような文体になるのだろうか(笑。
 以下に村上の名(迷)言を記して終わりにする。

 翻訳は作家と読者を結ぶかけがえのない仕事に思える。
 自分の欠点は語学力(笑)。
 良い文章には、ビートとともにうねりが欠かせない。
 ..., he said, ...型文章を翻訳どころか日本語の小説にも使う(笑)。
 翻訳は、最も効率の悪い読書である。
 翻訳とは、極端に濃密な読書である。

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翻訳夜話2 サリンジャー戦記 翻訳教室 ライ麦畑でつかまえて グレート・ギャツビー 「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
posted by 水野優 at 13:28| Comment(5) | 英語/翻訳/文芸/科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

 御久し振りです。また、このブログにリンクを張らせていただきました。このエントリに、です。

 問題等ありましたら対処致します。以上、ご挨拶まで。
Posted by blackdog at 2007年06月25日 23:42
 お久しぶりです。リンクありがとうございます。

 自分に重ね合わせることが多すぎるし、著者の訳を本書でしか読んでないのでろくな書評になっていません(汗。
 最後はまとめきれなくて村上の発言の羅列になったわけですが、ちょっと書き忘れたのは、彼はいろいろ試行錯誤した末に今のシンプル直訳調になったということです。
 基本的に日本語でフィクションを読まない私ですが、異例に彼の作品を今後読むかもしれません。自分の翻訳にはマイナスになるかもしれませんが(笑。
Posted by 水野優 at 2007年06月26日 15:50
Don't take it personal.と副詞ではなく形容詞を使うのではなかったですか?
Posted by 三十郎 at 2011年02月04日 19:11
 古い記事にコメントありがとうございます。
 早速「英辞郎」で調べると、
http://eow.alc.co.jp/take+it+personal/UTF-8/
副詞形しか出てきませんでした。
Posted by 水野優 at 2011年02月04日 20:53
グーグルのフレーズ検索ではpersonallyの方が多い。しかしDon't take it personal.ではitとpersonalの間にネクサスがあるのが「美しい」と思うのですが。
Don't take it personal.という歌があってかなり売れているようです。
Posted by 三十郎 at 2011年02月05日 10:53
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