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2005年05月31日

石井宏『反音楽史 さらば、ベートーヴェン』書評

 去年から気になっていてやっと読んだ。「クラシック音楽って所詮その時代の流行音楽にすぎなかったんでしょ?」と聞かれるたびに、そうとばかりはいえないと思いつつうまく答えられずにきてしまったが、その答えを知りたいという思いもあった。
 クラシックは堅苦しいとか思う時期もなく好きになった私には、音楽室にあるカツラをかぶった17〜19世紀の作曲家をちゃかすことなく尊敬の思いで見てきた。本書ではその大多数の作曲家がやり玉に挙げられる。
 書きたいことは山ほどあるのでほとんどは今後のネタにしたいし、内容についてもいちいち触れてられないのでamazonの書評を見て下さい(なんて書評だ)。私のようなドイツ音楽最高人間にも痛快で、老獪な筆者の軽妙洒脱さにも感心した。

 第一部「イタリア人にあらざれば人にあらず」通例の音楽史(その象徴「音楽の都ウィーン」など)は嘘っぱちで、19世紀まで音楽の中心はイタリア、イタリア人が諸国へ招かれて最高給を取っていた。他国の音楽家はイタリアへ行って名声を得るしかなかった。
 私も『アマデウス』などで18世紀までのドイツ人が辛酸をなめてきたことは知っていたが(忘れられたバッハ、貧乏人ハイドン、天才に見合わぬ処遇のモーツァルト)、19世紀でもこれほどとは思わなかった。「音楽の都ウィーン」はヨハン・シュトラウスを待たねばならない。

 第二部「それではドイツ人はなにをしていたのか」これまた挑発的なタイトルである。政治経済文化の全面でアルプスの北は遅れていたが、最終的にイギリスに帰化したヘンデルや世渡り上手のクリスチャン・バッハなど成功したドイツ人もいた。他国へへつらいすぎたせいか後者はドイツ人からも闇に葬られる。

 第三部「全てはドイツ人の仕業である」フランス革命やナポレオンの動乱期を過ぎた19世紀頃からドイツの国粋運動が始まり(ヒトラーまで続く)、独自に起こった観念哲学や美学と連動して音楽面でも現代まで続く形式重視や作曲家権威の風潮を作り上げ、20世紀には聴衆不在の実験音楽の袋小路に陥り、大衆音楽から孤立する元凶となったと説く。

 本書の内容を端的に表すデントの引用を挙げておこう。「ドイツ人の器楽的な世界は、イタリア・オペラという梯子を昇ることによって初めて到達し得たものである。しかし新興ドイツは、一旦その梯子を昇ったあとで、それを蹴り倒し、以後は口を拭ってイタリアの梯子などは最初から存在しなかったようなふりをしているのである」
 私は、この見事の暗喩が本書執筆のきっかけになったように思えてならない。もちろんこんな内容の本はもっと早くに出てもおかしくなかった。著者は英仏文系なのに他にはモーツァルトとマーラーの著作がある。
 経歴からはドイツ叩きの要素は見いだせないが、ベートーヴェンを強弱で観客を煽るだけの作曲家とし、彼をドイツ音楽絶対主義の後ろ盾に利用したシューマンを断罪するくだりは、著者の個人的な好みが出ているようで、amazon書評でも批判の多いところだ。

 結局のところ、これはあくまで音楽史の問題であって、さらには当時実際に人気があった音楽は一般常識とは違うんだよという「ささいな」ことである。「歴史学者の数だけ歴史学はある」という言葉があるくらいだから主観は禁じ得ないし、それがまたおもしろい。
 逆に、ドイツ人が自らに都合の良い音楽史観を打ち立てる間に、イタリア人はオペラにほうけてばかりでなぜ何もしなかったのか?と問いたい。私はイタリアオペラを食わず嫌いなわけではないし、ヴィヴァルディらに関してはとっくに聞き飽きたと言っておこう。
 ジョン・フィールドのように、後にショパンが完成させた「ノクターン」の創始者として名を残す作曲家がいる。それがきっかけで聴くとフィールドの「ノクターン」もけっこういけるなんてことになる。
 あまりに大衆的な音楽にはそんな新規に何かやってやろうという面があまりになくて(あっても黙殺される)、それゆえ十把一絡げにされて音楽史に残らないという面はあるだろう。当時は作曲家より演奏家の方が上だったと言われても残っているのは譜面だけである。

 著者の言う通りだとして、ドイツの仕業がなかったら現在の音楽に上下関係などなかったと言えるだろうか。とてもそうは思えない。今はあらゆるジャンルが細分化する時代である。マニアのいないジャンルなど考えられない。
 音楽ほどギクシャクしていないとはいえ、美術界にもファインアートとポップアートの違いはある。私はamazonの洋書ジャンルで、美術がアートなのに、音楽がエンターテインメントに分類されているのが気に入らないくらいである。このシーサーのジャンル分類も、趣味→音楽にこの手の投稿は場違いなので趣味→芸術にしている。Pod♪Castの音楽ジャンルにクラシックはない。

 最初の話にもどると、やはり「当時の流行とばかりはいえない」音楽が私の好きなドイツ音楽だったのだ。音楽の興隆を100%聴衆に任せていたら一度や二度聴いたくらいでは分からないドイツ音楽は衰退するだろう。著者に言わせれば「正常」にもどるだけなのかもしれないが。
 ブラームス「私にはもうモーツァルトのように美しくはかけないのです」。シェーンベルク「私もモーツァルトのように書きたかったが時代がそれを許さなかった」。これらの言葉の受け取り方は、著者と私では全く違うのである。
posted by 水野優 at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | Classical Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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