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2007年02月25日

ファイン『チェス棋士の心理学』3 世界チャンピオン モーフィーその4

 チェスを職業と見なすことを拒否したモーフィーは、いかなる職業も受け入れなくなる。このように深刻な厭世観は、スタントンに口汚くののしられたことから端を発しているに違いない。事実、隠遁生活はかなり早くから始まっており、チェスへの圧倒的な関心がその代償となっていた。10歳で指し方を覚え、12歳でニューオーリンズのチャンピオン、20歳で全米チャンピオン、21歳で世界チャンピオンになる。こうした偉業は、モーフィー以後にも多くの棋士が大筋においては繰り返してきたことである。しかし、これは膨大な時間と努力の犠牲なくしては達成できない。つまり、モーフィーは青春期のほとんどの時間をチェスに費やしたに違いない。知られているかぎり、彼は性交渉を持たず、あったとしてもせいぜい形式張らないものだったとされている。したがって、青春期の少年に付きものの男女間の駆け引きを、チェスに入れ込むモーフィーは放棄した。事実、彼はチェスを指すことによって精神病をはねのけた。

 問題は、生まれつきの天才が世界的名士に上り詰めたことだった。世界チャンピオンになると、もうチェスを軽視し、単なるゲームと見なすことはできない。チェスが余暇活動でなくなれば、その逃げ場としての機能も失う。つまり、さらなる退行(未発達の段階に心的状態や行動パターンが逆もどりすること)が生じる。今まで抑えられていた精神病が全力で襲ってくるのである。

 モーフィーの記録の独自性にも注目しておきたい。残された400ほどのゲームには、初期の22局と50局を超えるハンディキャップ戦も含まれている。しかし、大会やマッチのゲームは55局ほどしかない。今日では、非公式戦やハンディ戦の棋譜を保存する習慣のあるマスターはいない。モーフィーの棋譜がこれほど多く残っているのはなぜだろう? ほとんどの棋譜には独自の価値がなく、非公式戦ではまれである。これらは、モーフィー自身(または彼の同意を得た誰か)が意識下の自己顕示欲のために保存し、将来いつかゲーム集として出版するつもりだったに違いない。有名になったせいでこの自己顕示欲が(モーフィーの心中で)顕在化したために、退行することでしか精神的危機を回避できなくなったのである。

 多くの残された非公式戦によると、モーフィーがチェスを軽んじられなかったことも分かる。チェスが彼にとって重大関心事であると同時に、これを否定するために繰り返し労を惜しまざるを得なかった。モーフィーが有名になると、チェスは単なるゲームに過ぎないという彼が無意識に決めた主張は、もはや他者に対して説得力を持てなくなった。ここでもまた、退行が続くことになる。


 「ほとんどの棋譜には独自の価値がなく…」は、非公式戦でもモーフィーが手を抜かなかったことと矛盾すると感じられるかもしれないが、相手が弱すぎるといかに鮮やかに勝っても記録に残すほどの名局にならないという意味だろう。
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