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2007年02月08日

ファイン『チェス棋士の心理学』3 世界チャンピオン モーフィーその2

 モーフィーの日課は正午きっかりに几帳面に正装して散歩することで、それからオペラの観劇に出かける夕方までまた休息した。オペラは一つの公演も見逃さなかった。母親以外の人間とは会いたがらず、母が親友を家に招こうとするときでさえ怒りを露わにした。亡くなる2年前にモーフィーは、ルイジアナの著名人に関する伝記企画の中で彼の生涯を紹介する許可を求められた。モーフィーは、ルイジアナ州最高裁判所裁判官だった父アロンゾ・モーフィーが総額146,162ドル54セントの遺産を残したとしているのに、跡を継がないモーフィー自身が伝記で触れられていないことに憤慨する手紙を送り返している。彼が話すのは常に父親の財産のことであり、チェスのことに少しでも触れられるとたいてい腹を立てた。

 モーフィーのチェスの才能と精神病の間に何か関連があるとすれば、それは何だったかという疑問が自然に湧き起こる。ジョーンズは、スタントンがモーフィーとの対局を拒否した件を重要視する。スタントンはモーフィーにとって絶大な父のイマーゴ(imago:幼児期に形成されたままの愛する人(親)の理想化された概念)だったので、モーフィーはスタントンに打ち勝つことが自身のチェスの能力を証明することと考えた。無意識には他の多くの棋士に対してもである。スタントンがチェス盤をはさんで向かい合う代わりに口汚く罵ったために、モーフィーは失望し、自身のチェス経歴を「邪道」として見限る。あたかも、悪意を露わにした父親が同様な態度でモーフィーに報復する態度を取っていたかのようである。モーフィーの人格の純粋で立派な発露と思われていたチェスが、今やたいへん子供じみた卑しい願望、父親を性的に攻撃すると同時に完膚無きまで打ちのめそうとする無意識の衝動によって具現化されていたことが明らかになった。

 しかし、モーフィーの才能をそのままに扱うジョーンズの理論に対するかなり重大な反論がある。1858年には、世界チャンピオンと見なされていたのはもはやスタントンではなくアンデルセンだった。チェス史家は、たしかに当時のアンデルセンをスタントンより上に位置づけようとしていた。1866年には、シュタイニッツがアンデルセンを破って世界チャンピオンとなった。そしてモーフィーはアンデルセンに圧勝した。したがって、モーフィーがスタントンの対局拒否にそれほど悩まされるべき理由が明白とは言えないのである。
Paul Morphy: A Modern Perspective
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