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2007年02月02日

ファイン『チェス棋士の心理学』3 世界チャンピオン モーフィーその1

 3) ポール・モーフィー(1837-1884)は、後年精神病を患ったので精神医学的関心の的となった。前述したアーネスト・ジョーンズの研究対象でもある(23)。

 モーフィーは1837年6月22日にニューオーリンズで生まれた。父はスペインとアイルランド系、母はフランスの家系を引いている。モーフィーは、10 歳のときに父からチェスを習った。12歳までにおじ(父の兄弟)を負かすほどで、ニューオーリンズで最強となった。1857年まで独学に専念してから ニューヨークへ発った。そこで初めて開催されたアメリカ選手権で難なく優勝する。翌年はロンドンとパリを訪れ、世界最強のマスターたちが集まる中、アドルフ・アンデルセンを含めて対戦相手をことごとく破った。スタントンだけは、モーフィーの尽力にもかかわらずマッチの誘いに応じなかった。

 ニューオーリンズにもどってからは、ハンディ付きで世界中の誰からの挑戦でも受けると告知を出した。この挑戦を受ける者が出てこなかったので、モー フィーは引退を宣言する。たった18か月、公の対局で姿を見せたのは6か月という経歴だった。

 引退(21歳の若さで!)後は法律に復帰したが−父は判事だった−成功しなかった。モーフィーは徐々に引きこもりと奇行の症状を再発し、結局紛れもないパラノイアに至る。47歳で「脳充血」によって突然死するが、父もそうだったように脳溢血の可能性が高い。

 後年の病症については、ジョーンズが以下のように報告している。モーフィーは、自分の人生を耐え難いものにしようとする人々に迫害されていると思い込んでいた。その妄想は父の財産を管理する姉の夫に起因する。モーフィーは兄が相続財産を奪おうとしていると思っていたのである。モーフィーは兄に決闘を申し込み、その後何年も証拠の準備に費やして訴訟に持ち込んでいる。裁判では、モーフィーの起訴事由には全く根拠がないことがあっさりと判明した。彼は他人、特に義理の兄に毒殺されようとしているとも思っていて、しばらくは母や未婚の妹の作った料理以外口にしなかった。もう一つの妄想は、共謀した義理の兄とその親友ビンダーに自慢の服を切り裂かれて殺されるというものである。モーフィーは、ビンダーの事務所を訪ねたときに突然彼を襲ったこともある。街中で美人を見るたびに立ち止まってじろじろ見た。ある時期は、以下の言葉を叫びながら憑かれたようにベランダを上り下りしていた。"Il plantera la banniere de Castille sur les murs de Madrid au cri Ville gagnee, et le petit Roi s'en ira tout penaud."注9

 注9:「町が被った悲しみとともにマドリードの壁にカスティルの旗を突き立て、幼い王はきまり悪く立ち去るだろう」。ジョーンズは、この文言の出典 を見つけられなかったと述べている。しかし、これは明らかに王が打ち負かされた悲しみ、モーフィーがもう何もできなくなった悲哀を言葉で表現したものである。前章の会話に関する解釈と比較されたし。



 最後のモーフィーが繰り返した言葉はフランス語だが、注9の英訳でも分かりにくいので仏語と照らし合わせてみた。それでも、Il (=He)がRoi (=King)を指しているのかどうかには自信がない(汗。
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