ホームページは「チェストランス」です。古い記事では図の駒が表示されません。

2007年01月12日

ファイン『チェス棋士の心理学』3 世界チャンピオン スタントン前半

 1) ハワード・スタントン(1810-1874)は、文芸批評とチェスの両面で偉業を成し遂げた。彼は、カーライル(イングランド北西部カンブリア州州都)五代目伯爵フレデリック・ハワードの庶出子だったとされている(13)。最初は舞台に興味を持ち、幕間の寸劇役者を経て、イングランドで最高権威の著名なシェイクスピア学者になった。チェス界への登場は比較的遅い30歳、1840年のことである。1843年に、フランス人棋士サン(聖)・アマンを破り、非公式ながら世界最強と目された。学者気質ゆえに、『イギリス論集(The British Miscellany)』と『チェス棋士年鑑(Chess Player's Chronicle)』という雑誌を創刊する。多くの著作もあり、彼の『ハンドブック(The Chess Player's Handbook)』(37)は、シュタイニッツが『現代チェス教本(The Modern Chess Instructor)』(38)を出版するまで代表的な入門書だった。
 1851年に、スタントンはロンドンでの大会、近代初の国際競技会を開催する。アンデルセンに優勝をさらわれたスタントンは、巧妙な言い訳をしている。1853年には、スタントンに代わって世界中に挑戦者を募ったが、賞金が基本的にアンデルセンに入る取り決めだったために受け入れられなかった。その後スタントンはチェスから引退する。数年後に現れたモーフィーが挑戦を申し込むが、スタントンは弁舌の限りを尽くして盤上での対面から何とか逃れた。
 人として、スタントンの性格はひじょうに攻撃的で、文章での議論が三度の飯より好きだった。自らを巻き込む猛烈な論戦が数限りなく報告されている。以下は、自身の雑誌からの好例である(15):

 法廷弁護士テンプル殿。 G. ウォーカーのチェスに関する新論文(New Treatise on Chess)内のチェスの原則(Laws of Chess)に関するばかげた変更を教えてくださり、「このようなくだらないものがロンドン・チェスクラブで承認されうるか?」とご質問いただきました。 ウォーカーの幼稚な考えを是認するには、笑うしかないでしょう。彼のチェスに関する本は、最低級プレーヤー以外に何の役にも立ちません。

 攻撃性、組織化力、自己愛が、スタントンの生涯を貫いていたことは明らかである。演技から執筆への移行は、思考が行動に取って代わったものと考えられる。その後、執筆からチェスへと思考から行動への移行が見られるが、後にもう一度転換する。
 チェス棋士としての経歴は、ロンドンでの敗北で実質的に終了した。敗北に付きまとう自己愛への打撃に耐えられなかったと単純に解釈して間違いない。


 スタントンのChess Player's Chronicleは、『マスターズ』を書いたときに迷って「〜新聞」とした、ページをとじた体裁かもしれないので「〜年鑑」とごまかしてみた(汗。実際に和訳があるわけではないので、原書名を併記しておけば大した問題ではないのだが。
 実戦を引退して執筆に専念と言えば聞こえはいいが、スタントンの意図はあまりにも見えすいている。著者ファイン自身も、世界チャンプになれなかった無念を執筆に転換したのだろう。私ももっとましなプレーヤーだったら、いかに翻訳が好きでもこんなことはしていないような(笑。
この記事へのコメント
今年もよろしくおねがいします。
パソコンの調子が悪いので例会で聞いてみたところ、ハードディスクがもうだめだろうとのこと。どうするか思案中。
Posted by kathmanz at 2007年01月13日 10:21
 今年もよろしくです。去年は顔を出せなかったので、今年こそは北千住のブックオフ、ダイソー、ハンズついでに新しい例会場所を覗きに行こうかと(笑。
 思い切ってvista搭載機に乗り換えるとか? 私はXPが出るまでwin95だったので、今のXPがまだ当分続きそう。
Posted by 水野優 at 2007年01月13日 13:27
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。