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2006年12月29日

ファイン『チェス棋士の心理学』2 チェス概論 その8

 自我の立場からすると、プレーヤーがそれほど長い間多くの不安に打ち勝つためには、とてつもない強靱さが必要とされる。この点でまたもや、わずかな不安から逃避して衝動に走る公然の同性愛的弱い自我と対照的である。

 自己愛は、ゲームのいくつかの特徴から導き出される。チェスは個人的な競技である。キングという駒は、すでに述べたような自己同一のお膳立てに適している。したがって、勝利は自画像の雄大な一面を引き出せる一方で、敗北は弱さの感情を露わにする。ここで導き出される自己愛は、主として男根期のそれであり、口唇期に特有の初期型自己愛ではない。しかし、男根期に自己愛が強くなるのも、口唇期に固着した度合いに影響されてのことである。

 キングは、チェスプレーヤーの他の特質、英雄崇拝をも引き出す。他の駒とは大きく違い、キングは難なく伝説の英雄の象徴となりうる。チェスプレーヤーには、ジャンルを問わずに尊敬する人物を見つけてお手本にしようとする習慣がある。当然ながらこれは父親からの転移だが、こういう置き換えができることは、人格形成においては総体的にプラスとなる。再び対照的なことには、公然の同性愛は通常、父親と一体感を持つことも、男らしい自我理想(ego-ideal)の形成に役立つ父親代わりの人物を見つけることもできない。

 ハンス・ザックス(35)は、自己愛が自己から対象へと転移することを芸術創造の一要素として初めて指摘した。これは、チェスと芸術界を関連づけるもう 一つの鍵である。

 自己愛が行き過ぎると、チェスプレーヤーの人格の特徴は分かりやすくなる。自身とその業績や自分の英雄の偉業に夢中になりすぎる。正当な対象との関係、特に女性への共感が発育不足になる。攻撃性と同性愛が抑制されているために男性とはたいていうまくやっていけるが、女性がつまずきの元となる。女性への優しい感情を持つことはとりわけ困難であり、それは男性との関係に閉じこもっていることから合理的に説明できるだろう。

 一方で、自己愛には健全な一面もあり、伝統や芸術の本質を見抜いたり、新しく価値あるものを創造する助けとなる。フェダーン(14)は、健全な自己愛は 創造的な人物には珍しくないことを指摘した。アン・ロー(33)の研究も、著名な科学者たちが自己愛的であり、総体的に性心理的発達にやや後れが見られる としている。

 最後に、のぞき趣味と自己顕示欲(voyeurism-exhibitionism)にも一言触れておかねばならない。これは、二人の男同士の状況で全く意識されずに満足感が得られている。その結果、チェスプレーヤーは人混みの中では落ち着かなくなり、やや引きこもり傾向があると見なされる。さらに自己愛的要素が加わるので、組織化された集団に無関心になりがちである。

 実際の個々人を検討する前に、本章の重要点を手短に要約しよう。チェスにおける本能的葛藤は、肛門期と男根期のあらゆる男性に共通する葛藤、特に攻撃性や自己愛、ペニスへの態度をめぐって満足させられる。これらはすべてゲームの中ですでに象徴化されている。象徴の中心となるのはキングという駒であり、以下の3つの異なる意味によって重複決定されている。男根期の少年のペニス。代替不能、不可欠、最重要だが脆弱と感じる男性の自己イメージ。少年サイズに縮小された父親である。プレーヤーが上達する中で、チェスは少年が父親に追いつき乗り越えようとする戦いの一部を成している。

 自我は明確な特徴を示す。その一つは、知的防御を好んで使うことである。しかし、空想にふけっている間も、プレーヤーは自己を見失わない。ファンタジーワールドから抜け出ることもできる。不安は多いが、うまく耐えられる。衝動的エネルギーは、成果を上げるためには抑え込める。全体として自我はかなり強靱となり、とりわけ知性の有効利用と難局を堪え忍ぶ能力は顕著である。自我の弱点は、主として自己愛に耽溺することであり、同性愛から異性愛段階への成長が困難となる。


 今回でやっと「チェス概論」は終了。analやpenisの訳に統一が取れなかった等の表面的な問題以外にもいろいろたいへんな章だった。「葛藤(conflict)を満足(gratify)する」という表現は、ググっても4万以上あるから素直にならったが、葛藤は解決するものではなかろうか?
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