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2006年02月12日

マスターズ第18回:世界への道

 野球、ボウリング、チェスがないオリンピックに興味はなく、スポーツなのに芸術点が加味される種目というのもよく分からない。そういえば、氷上の「チェ ス」カーリングがあったが、未だにルールが分からない。注目度は高いがみんな分かって見ているのだろうか。


 モー フィーポールセンは好対照だった。てきぱきと指す モーフィーに比べてポールセンは遅指しで、じっと動かない。モーフィーの顔にはいら立ちが見え始める。モーフィーはクイーン・サクリファイスのと きでも12分で指すのに、ポールセンはそれを取るかどうかに75分も長考し、 他の手でもわざと30分くらいかけた。
 マッチの途中でモーフィーは友人に語った。「ポールセンは生きてる間には僕には勝てない」。結局、5勝1敗1分でモーフィーが楽に優勝する。優勝賞品は、銀製のピッチャー、ゴブレット、盆などの食器セット、300ドル相当の品物だった。

 大会の合間に、選手たちは非公式の早指し戦等に興じた。ポールセン は後の1859年に15局同時の世界記録を作ったほどの目隠しチェス の名人である。目隠しで相手にする5人にモーフィーも呼ばれ、彼も目隠しすることで同意する。モーフィーは28手目に5手メイトを宣言した。
 その後突然、モーフィーは20世紀のフィッシャーのように鳴りをひ そめる。ポールセンが生きてる間に彼に勝てないという言葉には、別の意味があったのかもしれない。しかし、全米のメディアは彼の勝利をたたえ、有名になったモーフィーには多くの詩が捧げられ た。

 ニューオーリンズにもどったモーフィーは、法律の実務可能年齢にな るの を待ちながらチェスを続ける。ニューヨークでは、後手と1ポーン落ちハンデでの対戦を募ったが、応じる者はいなかった。自分を基本的にアマチュア紳士と考えていたものの、多くの場合はプロとして賞金を賭けて戦うよ り他 なかったのである。
 勝ったマッチの賞金をこっそり対戦相手の妻に送り返したことさえある。ポールセンに刺激された目隠し同時対局も始めるが、真剣勝負をしない彼に代わっ て、友人たちがスタントンに挑戦状を叩き付けた。ニューオーリンズへ 彼を招いて勝者総取り賞金5000ドルのマッチを行おうというのだ。

 イギリス・チャンピオンからの回答は、他の仕事が多忙で最近指してないから行けないというものだった。それは事実だったが、『イラストレイテッド・ニュース』のコラムでは、「モーフィーにはアメリカでまだ 1,2人相手になる選手がいるはず」と尊大に返している。
 ヨーロッパの強豪のほとんども他にまともな職を持つアマチュアであり、アメリカへの往復という浪費はなかなかできるものではない。スタントンは、モー フィーが自らヨーロッパへ出て来てまず名声を得るべきと主張した。

 モーフィーは、イギリスへ渡ってスタントンの土俵で戦うしかなく なった。ニューオーリンズ・チェス・クラブは旅費を提供したが、モーフィーは辞退した。プロではないから、旅費は自腹で払うことにしたのである。
 モーフィーは、自分が世界最高のプレーヤーであることを実証する野心に燃えていた。1858 年5月31日にニューオーリンズを発ち、1か月後にイギリスに着く。ロンドンに到着した6月22日にちょうど21歳の誕生日を迎えた。
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posted by 水野優 at 13:36| Comment(1) | マスターズ(チェス近代史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ところで「JPCA日本郵便チェス協会の存続を願う集い」という掲示板を発見。チェスアンテナに登場。なので今後その話題も盛り上がりそう。

http://8009.teacup.com/ha4shu2/bbs20060213000640
Posted by kathmanz at 2006年02月13日 10:23
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