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2006年02月02日

ディドロ著本田&平岡訳『ラモーの甥』

 amazonからの発送も遅れているし、序盤ページの構築はおいおいやっていくとして、次の翻訳本をどうしようかと考えていたら、pontaさんからニ ム ツォヴィッチの『マイ・システム』をお借りできそうだ。このエポックメーキングな本はやはり訳しておかねばならないし、そういう声もよく聞く。
 独文からの英訳が新旧版ともにひどいから、ドイツ語原文が手に入ればそれからとも本気で考えていたが、いずれ参考として必要だろう。メタファーの森をい かに 整地していくか、今から楽しみだ。


 ドニ・ディドロ著本田喜代治・平岡昇訳『ラモーの甥』(224ページ、 '64改訂、岩波文庫)である。これを最初に知ったのは、maro_chroniconさんの「戎棋夷説」04/09/08だった。「天才」についての批 評が印象的ですぐにでも読みたいと思いながらやっと念願を果たした(図書館で借りてくるだけなのに)。

 作品自体の解説は本記事の主旨ではないので、岩波書店のHPから以下に引用するにとどめる:
 「百科全書派の巨匠ディドロ(一七一三―八四)の最高傑作とされる対話小説.大作曲家ラモーの実在の甥を,体制からはみ出しながら体制に寄食するシニッ クな偽悪者として登場させ,哲学者である「私」との対話を通して旧体制のフランス社会を痛烈に批判する.生前は発表されず一八〇五年ゲーテのドイツ語訳に よって,俄然反響を呼んだ.」

 本記事では、フィリドールら当時の名手がカフェ・ド・ラ・レジャンスで指していたチェスに言及する4か所だけを原文とともに引用する。フランス語の原文 はプロジェクト・グーテンベルクからダウン ロードできる。

“Si le temps est trop froid, ou trop pluvieux, je me réfugie au café de la Régence; là je m'amuse à voir jouer aux échecs. Paris est l'endroit du monde, et le café de la Régence est l'endroit de Paris où l'on joue le mieux à ce jeu. C'est chez Rey que font assaut Légal le profond, Philidor le subtil, le solide Mayot, qu'on voit les coups les plus surprenants, et qu'on entend les plus mauvais propos; car si l'on peut être homme d'esprit et grand joueur d'échecs, comme Légal; on peut être aussi un grand joueur d'échecs, et un sot, comme Foubert et Mayot. Un après-dîner, j'étais là, regardant beaucoup, parlant peu, et écoutant le moins que je pouvais; lorsque je fus abordé par un des plus bizarres personnages de ce pays où Dieu n'en a pas laissé manquer.
 訳本p.5〜6より
陽気があまり寒かったり雨がひどかったりすると、わたしはカフェ・ド・ラ・レジャンスに逃げこむ。わたしはそこでひとが将棋を指しているのを見て楽しむ。 世界じゅうでパリが、またパリではカフェ・ド・ラ・レジャンスが、この遊びの一番うまい手合せの行なわれる場所である。深謀遠慮のレガルや感の鋭いフィリ ドールや手堅いマイヨなどが腕くらべをするのも、驚くばかりの妙手が打たれるのも、またひとが実にひどい会話を聞くのも、このレーのところだ。というの は、ひとは、レガルのように才人であって将棋の名手であることもできるが、またフベールやマイヨのように将棋の名手であって馬鹿であることもありうるから だ。”

 訳は古いからこんな文体だし、文化相対的な感覚が乏しいからか堂々と「将棋」と書かれている。そこまで言うとフランスだから「エシェク」か。当時のチェ ス は(私が「マスターズ」で引用するように)ジョージ・ウォーカーといったマニアによっても今日まで伝えられているが、本書によって一般にも知られるように なった。
 訳書には作品解説以外にも40ページ近くの懇切な訳注がある。それによると、ディドロ自身もカフェ・ド・ラ・レジャンスに足繁く通い、コーヒー一杯でね ばっ て主に見る方で、ルソーにはよく負けたらしい。レーは、カフェ・ド・ラ・レジャンスの開設者である。フベールは今では無名だが外科医だった。
 本書の注釈者ファーブルは、棋力の順序をレガル、フィリドール、マイヨとしている。レガルがフィリドールの師とはいえおもしろい。二人ともと交流のあっ た ディドロは、『百科全書』でフィリドールの名人ぶりを特記している。

“Il m'aborde... Ah, ah, vous voilà, monsieur le philosophe, et que faites-vous ici parmi ce tas de fainéants? Est-ce que vous perdez aussi votre temps à pousser le bois? C'est ainsi qu'on appelle par mépris jouer aux échecs ou aux dames.
MOI. -- Non, mais quand je n'ai rien de mieux à faire, je m'amuse à regarder un instant, ceux qui le poussent bien.
LUI. -- En ce cas, vous vous amusez rarement; excepté Légal et Philidor, le reste n'y entend rien.
MOI. -- Et monsieur de Bissy donc?
LUI. -- Celui-là est en joueur d'échecs, ce que mademoiselle Clairon est en acteur. Ils savent de ces jeux, l'un et l'autre, tout ce qu'on en peut apprendre.
MOI. -- Vous êtes difficile, et je vois que vous ne faites grâce qu'aux hommes sublimes.
LUI. -- Oui, aux échecs, aux dames, en poésie, en éloquence, en musique, et autres fadaises comme cela. A quoi bon la médiocrité dans ces genres.
 訳本p.10より
 「おやおや、あんたですか、哲学者先生。ところで、こんなのらくら共にまじって何をしてるんですか。あんたもやっぱり木屑を押して時間をつぶすんです か。」(将棋や碁をやることをひとは軽蔑してこんなふうに言うのである。)
 私−いや、そうでもないが、これといってすることがほかにない時は、上手に木屑を押す連中をしばらく見て楽しんでいるのさ。
 彼−それだと、あんた、めったに楽しめはしませんな。レガルとフィリドールをのけりゃ、ほかの連中はなんにもわかっちゃいませんからね。
 私−じゃ、ド・ビシーさんはどうかね。
 彼−あの人は、将棋の指し手としては、まあ俳優としてのクレロン嬢のようなものですな。二人とも、その道のかけては、人の覚えられるくらいのものはすっ かり心得ていますがね。
 私−君はなかなか点が辛いな。どうも抜群の人だけしか君には大目に見てもらえないようだね。
 彼−そうですとも。将棋や、碁や、詩や、弁舌や、音楽や、そういったくだらないものではね。こんなたぐいのもので凡庸だったら、何に役に立ちますか。”

 へぼ棋士には頭の痛い話である。ここから本書の一つのテーマであるmaroさんが触れた「天才論」へなだれ込んでいく。碁もダームという西洋碁を指して いる(今おせっかいなatokが「碁は打つもの」と教えてくれた)。ド・ビシーは文人、クレロンは女優である。

“Et pour me donner une juste idée de la force de ce viscère, il se mit à tousser d'une violence à ébranler les vitres du café, et à suspendre l'attention des joueurs d'échecs.
 訳本p.71より
 そういって彼は、この肺臓の力強さをわたしに正しく理解させようとして、カフェの窓ガラスを揺るがし、将棋さし連中の注意を一時中断させるほどにはげし く咳ばらいをしはじめた。”

 「私」と「彼」の対話は、カフェ・ド・ラ・レジャンス内で続き、その傍らでチェスもずっと行われている。

“Tous les pousse-bois avaient quitté leurs échiquiers et s'étaient rassemblés autour de lui.
 訳本p.120より
 木屑を押している連中は皆その将棋盤を離れて彼の周りに集まっていた。”

 「彼」の道化芝居はカフェ・ド・ラ・レジャンス中の見物だったのである。

 本書は、チェス以上に当時の音楽にも触れているのが私には興味深い。ラモーやリュリに関しては聴く機会がけっこうあるので、また違った見方ができるかも しれない。チェスに関する記述はおそらく以上で網羅したと思う。
ラモーの甥
4003362438 ディドロ 本田 喜代治 平岡 昇

岩波書店 1964-01
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posted by 水野優 at 15:50| Comment(4) | チェス(和書評) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おお、ついにマイシステムですか!
不肖わたくし、ドイツ語版持っておりますので、「ここどーなの?」という時は、お気軽にお声をおかけくださいませ。
Posted by kanedaitsuki at 2006年02月02日 20:31
 途中で止まってる翻訳もありますが、メイソンとかはやはり「小者」だし、問題とその解説に過ぎないものを丁寧に訳すのは空しいですし。
 手元にあるかどうかよりやはり傑作から片づけて、『マイ・システム』を現代のチェスからみんなで論じられるようにしたいものです。
 ドイツ語版、必要なときはあてにしてます(笑。
Posted by 水野優 at 2006年02月02日 22:14
「戎棋」の古い記事を覚えていてくださってありがたいです。
『Blockade』は簡単に読めるんで、面白かったんですが、『我が組織』(笑)はいつも途中で挫折してました。水野さんの日本語で読めたら嬉しいですね。「読みたい」という人が多いと、さらに嬉しいです。
Posted by maro_chronicon at 2006年02月03日 22:51
 『ラモーの甥』はmaroさんのレビューで十分なところを、網羅しようと欲張ってしまいました(汗。
 Blockadeは私持ってなかったようです。ラスカーのManualもそうらしく、よほど積ん読だったのだなあ。
 たしかにsystemって難しいですね。エド・ラスカーがよくcommon senseを使うのですが、訳だと「チェスの常識」とチェスを付けないとどうもしっくり来ないのを連想しました。
Posted by 水野優 at 2006年02月03日 23:49
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