ホームページは「チェストランス」です。古い記事では図の駒が表示されません。

2006年01月21日

マスターズ第15回:悲劇の天才−モーフィー

 昨日テレビ東京の「所さんのそこんトコロ」で、「時刻表で読書感想文を書いていいの?」という視聴者からの質問がおもしろかった。コンクール応募では雑 誌という点でだめだが、それ以外は別に漫画でもかまわないという回答だった。実際に子供に書かせるとタウンページや地図帳でもおもしろい感想文になった。
 私は普通の作文に比べて感想文がきらいだった。元々フィクションがきらいで小学生の頃から科学の本ばかり読んで感想文も書いていた。あの頃は原稿用紙1 枚 書くのにひいこらだったのに、今はブログとホームページで毎日10枚分は書いているのだなあ(笑。


 1 年半の短いキャリアでありながら、同時代の最高であるばかりか、全時代を通じても最も偉大なプレーヤーかもしれない。早くにチェスを退 き、チェスを憎み、狂気の末に亡くなった悲劇の天才、ポール・モーフィーは 1837年6月22日にニューオーリンズで生まれ、1884年6月 10日に当地で亡くなった。
 謎に包まれた伝説のプレーヤーは名局の山を築いたが、相手との差がありすぎたために真の強さが未だに分からない。ボビー・フィッシャー:「モーフィーはおそらく今までで最も正確なプレーヤーだ。今日の 誰もかなわない」。ルーベン・ファインは、小柄なボクシングのヘビー級世界チャンピオン、ジョー・ルイスにたとえている。

 モーフィーは、ロマンティックなコンビネーションに現代的なポジショナル・プレーを加味した。フィリドールのようにゲームを論理的に構築 し、堅実な陣形からコンビネーションを繰り出した。「ピースを助ければピースが助けてくれる」。彼の相手が仕掛ける攻撃はむなしく空回りした。
 モーフィーは、堅実に組み上げた陣形には無理攻めが効かないことを分かっていた。先に相手の陣形を崩させてから、アンデルセンに匹敵するコンビネー ションで反撃する。最終的には派手で豪快な攻撃を見せるが、基本的には古典的で 純粋な棋風である。
 マックス・エイヴェは『棋風の発展(Development of Chess Style)』で述べている。「モーフィーは、攻撃と同じくらい防御にも優れていた。他のプレーヤーは攻撃に比べて防御が下手で、関心も低い。モーフィー は同時代の誰よりも局面を全体的に把握していた」

 モーフィーはアイルランド、フランス、スペインの血を引いている(元来の綴りはMorphyではなくMurphy)。はクレオール系フランス人、は判事で、4人兄弟の3番目だった。チェス好きの父とおじアーネストの影響で8歳のときにルールを覚える。おとなしくて無口な子供だった。
 おじはポールの非凡な腕前をニューオーリンズ中に吹聴する。1846年に、将校ウィンフィールド・スコットが街へ訪れた。アマチュアの強豪と目された彼とポールとの対局が実現す る。そのゲームは、後に『イブニング・ポスト』紙を初め多くのアメリカの新聞が 記事にした。

 「スコットのチェスへの情熱も見栄に過ぎなかったのかもしれない。ポールの父らとの旧交を温めた後で、対局を希望すると、父は息子を推薦した。大男のス コットに似つかわしくない相手は、10歳ほどの少年だった。洒落にな らないと思いながらも威厳を保つスコットだったが…」
 最初のゲームをポールが10手でメイトにすると、将校は不機嫌に なった。次もポールが勝つと、驚きと憤りのあまり震えながら帰って行った。ポールはいつも通り無口なままだったという。

Paul Morphy and the Evolution of Chess Theory (Dover Books on Chess)
0486435741 MacOn Shibut

Dover Pubns 2004-04
売り上げランキング : 681,650


Amazonで詳しく見る
by G-Tools
posted by 水野優 at 14:46| Comment(0) | マスターズ(チェス近代史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。