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2005年12月29日

マスターズ第12回:不滅−アンデルセン

 年賀状が元日より早く誤配されたミスをニュースでやっていたが、私は郵便戦をやっていた頃、普通便として出しているのに年賀状扱いされて遅配されること がよくあった。「年賀じゃない」とでも朱記しなければならないのだろうか(笑。ちなみに、もう年賀状を出さなくなって数年になる。


 19世紀ヨーロッパ最強プレーヤーは、ブレスラウ(現ポーランド南西の ブロツワフ)出身のアドルフ・アンデルセン(1818-1879)で ある。地元のフリードリヒ高校で生涯数学を教えたが、チェスにはまっ たのは9才のときだった。
 にルールを教わり、自身もグレコ、フィリドール、アルゲイアー等 の手引書に夢中になる。休日にはできるかぎりベルリンまで出向いてク ラブで腕試しをした。そこで七星派のプレーヤーたちと顔を合わせたこ とは間違いないだろう。

 トーナメントプレーヤーとしては遅い30歳デビューだったが、それ までは数学の研究と教授職を得るために忙しかったのである。しかし、国際舞台では最初から花開き、チェスのロマンティック時代をピークにまで押し上げた。
 コンビネーションに秀でた攻撃的な棋風で、ポール・モーフィーとの数局を除けば、敵陣に作った弱点を比類なきサクリファイスで徹底的に破壊した。「不朽」と「不 滅」と名づけられた二局は、チェス史に残る名局の中でも傑作中の傑作として知られている。

 圧倒的な攻撃を受けて完敗した対戦相手でさえ大喜びする。魔法のようなコンビネーションで仕留められた驚きと感動に打ちひしがれる。「不滅」局の引き立 て役キェゼリツキーは、興奮と熱狂にせきたてられて棋譜をすぐ地元パ リのクラブへ送ったほどである。
 アンデルセンは、性格のいい長身の紳士で、猫背だがスポーツマンで もあった。チェスプレーヤーとしては「敵」を作らなかったようである。「誠実に話し、笑顔は優しく、喜びを豊かに表現する。彼ほど明るく優しい目をした人 物を知らない」とレヴァランド・ジョージ・マクドネルは評している。

 アンデルセンの経歴は1848年ハルヴィッツとの引き分けたマッチで始まった。直前にウォーミングアップで行っ た目隠しゲームではハルヴィッツを負かし ている。3年後のロンドン大会でスタントンを凌いで優勝するのだが、 そのロンドンで「不滅」局は生まれた。
 大会後にディヴァン・クラブで行われた非公式戦で、彼はキェゼリツ キーと指した。

アンデルセン−キェゼリツキー

1. e4 e5 2. f4 exf4 3. Bc4 Qh4+ 4. Kf1 b5 5. Bxb5 Nf6 6. Nf3 Qh6 7. d3 Nh5 8. Nh4 Qg5 9. Nf5 c6 10. g4 Nf6 11. Rg1 cxb5 12. h4 Qg6 13. h5 Qg5 14. Qf3 Ng8 15. Bxf4 Qf6 16. Nc3 Bc5 17. Nd5 Qxb2









rnb1k1nr/p2p1ppp/8/1pbN1N1P/4PBP1/3P1Q2/PqP5/R4KR1 w kq - 0 18

 18. Bd6 Bxg1 19. e5 Qxa1+ 20. Ke2 Na6 21. Nxg7+ Kd8 22. Qf6+ Nxf6 23. Be7#

 黒のポジション感覚のお粗末さが目立つが、だから生まれた名局と言 えよう。ところで、スタントンとアンデルセンの棋風性格がまるで正反対なのは興味深い。二人ともそれらを足して二で割ることでバラ ンスを取っていたのかもしれない。「人は棋風によらない」のである。
The Chess Games of Adolph Anderssen: Master of Attack
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posted by 水野優 at 14:01| Comment(0) | マスターズ(チェス近代史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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