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2005年12月22日

マスターズ第11回:七星派

 amazonの新機能「なか見!検索」はつまみ読みに重宝しているが、検索機能自体は全ページに対応しているのがうれしい。今後思わぬところから思わぬ ネタを発見できるかもしれない。こうなると、本屋で実際にパラパラめくれるメリットなどかすんでくる。
 例えばこの機能を使うと、以下の本がハルヴィッツとスタントンの同時対局に触れていることが分かった。買えないけど(汗。
Harrwitzによる検索結果:
51ページの引用: " ... player named Harrwitz, each of the three playing the other two in simultaneous games, Staunton giving rook odds to both of the others, who played blindfolded; Harrwitz won his ... "
  「harrwitz」の本書中の引用ページについてはこちらをご覧ください。
Crescendo of the Virtuoso: Spectacle, Skill, and Self-Promotion in Paris During the Age of Revolution (Studies on the History of Society and Culture)
0520206843 Paul Metzner

Univ of California Pr 1998-11
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 ヨーロッパの東方からもプレーヤーがやってくると、1世紀にも渡って他国から来たプレーヤー も定住して活躍したフランスは、聖 アマンを最後に世界チェス界の中心ではなくなっていく。イタリアは 18世紀以降これといったプレーヤーを世に出していない。
 イギリスのチェス熱は続いたが、世界チャンピオン級プレーヤーとな るとスタントンが最後となった。後に出てくるジョーゼフ・ヘンリー・ブラックバーンは、たしかに恐るべき強豪になるのだが。

 ドイツでは、19世紀初期のチェスの中心はベルリンであり、その主要プレーヤーは七星派(プレイヤード)と呼ばれていた。チェスクラブは1803年に誕生し、1830年代には七星派の活躍によって、ブルームガルテンにあるクラブがヨー ロッパでも著名なクラブとなった。
 七星派はアマチュア・チェス愛好家有志の集まりで、ほとんどは他の分野でも有名な学識者である。彼らはヨハン・アルゲイアー(1763-1823)の後を埋めるかのように現れた。アルゲイ アーは、ドイツで最初の手引書『新 理論−実践指南(Neue Theoretisch-Praktische Anweisung)』を著したオー ストリアのプレーヤーである。

 七星派のリーダーはルートヴィヒ・ブレードー(1795-1846)、 ベルリン高校の数学教授で、1846年にドイツ初のチェス雑誌『ドイツ・チェス誌(Deutsche Schachzeitung)』を創刊した。他には、二人の画家、カ ルル・ショルンとベルンハルト・ホルヴィッツがいた。
 ホルヴィッツはイギリスへ渡って最強プレーヤーの仲間入りをし、1851年ロンド ン大会の16人の参加者に入って名を残した。『ブリティッシュ・チェ ス・マガジン』は、「ショルンは、画家としてはホルヴィッツより上だが、チェスプレーヤーとしては下である」と評している。

 他には、弁護士のカール・メイエ、軍人のパウル・ルドルフ・フォ ン・ビルグエルがいた。ビルグエルは、長年かけて不朽の『手引書(Handbuch)』に取り組んだが、未完のまま1840年に亡くなる。ドイツ語圏ではスタントンの英語本に匹敵する本書は、 フォン・デル・ラーザが完成させた後版を重ねた。
 ラーザ男爵(1818-1899)は、七星派の中でも最も興味深い人物である。彼は、十分な才能を持ちながらも競技チェスには入れ込まなかった。ウィー ン、リオデジャネイロ、デンマーク等の大使を務めるほど聡明で、チェ スの歴史理論に明るく、所有するチェス文献は他に比肩するものがなかった。
 大使として旅行するのを利用して各国のチェス書を蔵書に加えていっ た。数少ないトーナメント経験を紐解くと、1853年にスタントンを 接戦で破っている。

 七星派によって、分析や理論的考察、概論がすべてのチェスプレーヤーの底上げをする道筋が作られた。ウィーンから後にロンドンへ移住したエルンスト・ファルクビアは、七星派の先駆的な研究の恩恵にあずかったし、ロンドンやパリで 名声を得てからモーフィーに破れたダニエル・ハルヴィッツもしかりである。
 後の世代、ポーランドのサイモン・ウィナウアー、ボヘミアのウィル ヘルム・シュタイニッツ、ラトヴィアのヨハネス・ツカートルト、ハンガリーのイグナーツ・コリッシュも、七星派の教えに心酔した。もう一人のハンガリー人ヨハン・レーヴェンタールも、1848年に故国を離れるまで七星派の影響を受けてからア メリカ へ渡った。
Chess Studies and End-Games
3283001723 Bernhard Horwitz Josef Kling

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posted by 水野優 at 16:05| Comment(2) | マスターズ(チェス近代史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
リンク、出来ました。このカキコミの私の名前をクリックしていただければチェックできます。
七星派(プレイヤード)ってフランスの詩人にもありましたよね。たしかロンサールとか。
ヤロム(妻)の翻訳は『乳房論』の文庫版を持ってるんですが、さて、読もうと思ったままどこに行ったか。『クィーンの誕生』は畏友も気に入ってるようです。
Posted by maro_chronicon at 2005年12月22日 22:41
 両方リンクしていただきありがとうございます。
 最初に連想するのはプレアデス(ギリシャ神話や星団)ですが、明らかに詩人のプレイヤードを意識しての命名でしょうし、プレーヤーに似ていますしね(笑。しかし、詩人については不勉強です(汗。
 レビューは、孫レビューやレビューの訳より、「なか見!検索」できる本を優先して本文一部訳を紹介できるようになったのが収穫です。さも読んだように紹介しているので、レビューというより「紹介」とした方がよさそうですが。
Posted by 水野優 at 2005年12月23日 13:02
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