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2005年12月14日

スマリヤン『天才スマリヤンのパラドックス人生』

 主にチェスと翻訳、そのうちクラシック音楽も充実させたい新サイト「チェス トランス」だが、昨日は1/5ほど訳してあったユージン・A・ズノスコ=ボロフスキー(読み方合ってるのかしらん)の『いけないチェスの指し方』も公開し た。こういう初心者向けで読み物的なものは今後増やしていきたい。
 ちょっと前から訳していたから今見ると下手なところもあるが、そのうち手を入れる。著者は'54年の大晦日になくなったロシア人なので51年後の元日、 つまり今年の元日に著作権切れになった。それ以前に切れていたかもしれない。今後目移りせずどの翻訳を優先させるかが問題だ(汗。


 レイモンド・スマリヤンは、哲学者、論理学者、数学者、音楽家、手品 師、ユーモア作家、そして多彩なパズル創作家の融合した、唯一無二の人物である。−マーティン・ガードナー(扉より)

 「通信チェス」のha4shu2さんに刺激され、私もレイモンド・スマリヤン著 高橋昌一郎訳『天才スマリヤンのパラドックス人生』を読んだ。著者に ついては、'87年に大阪紀伊国屋で偶然見つけて買った"The Chess Mysteries of Sherlock Holmes"の「逆解析」プロブレムに魅せられたが、その翻訳が出た時点でまた先を越されたと思ったくらいで、他の本は読んでなかった。
 本書は最初の段落を読み終わる前に、訳者の直訳調に気持ちが悪くなった。この程度の生硬な訳文は、翻訳を学ぶ前にも読んで自分自身も書いてきたのだろう が、今となっては職業病とでも言うべきか、とても読み過ごせるものではない。削れる主語や所有代名詞を極力拾わないように気をつけて読破した自分をほめた いくらいだ。

 それはともかく、私には前書の論理学者のイメージくらいしかなかったスマリアンが、ピーター・フランクルをはるかにしのぐ多芸多才だったことは、副題の 「ゲーデルもピアノもマジックもチェスもジョークも」で知った。前書 の裏表紙にある白髪の髭を蓄えたヒッピー老人のような写真が印象的だったから、まだ生きていることさえ意外である。
 本書は自叙伝だが、本筋より多いくらいのジョークが挿入されて脱線しまくり、脱線そのものが「パラドックス」に思えてくる。時間も単純に未来へは進んで くれない。そこで巻末に時系列順のまとめ(本文訳のつぎはぎに過ぎないが)があるのは、訳者に関して唯一感心したところだ。

目次
第1部 ピアノ、チェスそしてマジック−ジョークで綴る天才学生時代
第2部 ゲーデル、論理パズルそして哲学−ジョークで綴る天才教授時代
第3部 スマリヤンの印象
スマリヤンの著書
パズルの解答
訳者あとがき

 各部内の項目は多いので省く。第3部は著者の知人(各界の専門家ばかり)からの言葉なので、第1,2部が本論だが、この2つの分け方さえもあいまいなほ ど話題は自由奔放に展開している。どの話題もおもしろいが、多すぎるためにまずはチェスに絞るしかないだろう。
 37ページから、ha4shu2さんが触れていた郵便戦の話に続いて「逆向きの解 析」チェス・パズルの話が出てくる。スマリヤン自身は特に強いプレーヤーでもなかったらしく、郵便戦の相手、いとこのアーサーからこのパズ ルのアイデアを聞いたことがきっかけだったと述べられている。

 続いて元アメリカチャンプ、フランク・マーシャルの眉唾ものの話で、これは『完全チェス読本』にあったかもしれない。そして、ナイトだけ一度に2手動か せるルールだと白番の初手でいきなり詰ませられるというトリックが出てくるが、これは自ら音楽やチェスはよく知らないと言う訳者の「手」違いだろう。
 その際、相手を賭けに引き込むためにハンデをあげる話になるのだが、○○の駒を「プレゼントする」や「渡す」という表現がなされている。原文でgive ...と書かれているのだろうが、もらった相手がその駒を使えるわけではないから駒落ちとする方が誤解は少ない。そして、「プライム・チェス」というルー ルの話でこの部分のチェス話は終わる。

 76ページには、チェスのプロブレムでも有名なパズル作家サム・ロイドが手品師でもあったことに触れている。続いて手品の種明かしにまで話が及ぶ。最近 よく見る、卵の中からカードが出てくる手の込んだトリックなどである。
 96ページでようやく、『シャーロック・ホームズのチェスミステリー』 と『アラビアン・ナイトのチェスミステリー』出版へのいきさつが出て くる。これほどおもしろい本が、フィッシャー人気で火がついた後のアメリカでも、いったんは出版が没になったという事情を聞くと、私もあきらめてはいけな いと思わされる。特に『アラビアン〜』はまだ邦訳がないからぜひともやりたいが、原本がない。amazonの中古は1万円を超えている(汗。

 後は、180ページにマーティン・ガードナーが『サイエンティフィック・アメリカン』で「チェスが白で絶対に勝つ方法(初手ポーンでクイーンをロッ ク)」というコラムを書いていること(もちろん内容はジョーク)に触れているくらいである。
 だから、本書のチェスの部分にしか興味ないという人は、上記のページを本屋で立ち読みする程度でいいだろう。私は、他にカメラ、天文(望遠鏡製作)、 オーディオ等まで共感するところがあり、高校生のときロジックのおもしろさを教えてくれた友人のことまで思い出した。

 私の以前の記事『グールド・フィッシャー・チェス』は、ホフスタッターの『ゲーデ ル・エッシャー・バッハ』をもじったものだが、彼もスマリヤンの影響を受けた一人である。スマリヤンを取り巻く各界の著名人は把握しきれな いほどだが、彼の親戚だけに限っても学者や芸術家であふれている。
 彼はテレビの出現によって人がピアノ等の楽器を弾かなくなったことを嘆いている。これほど才能のあふれた家系は、遺伝より「生まれたときからピアノが あった」といった環境によるものだろう。戦後17年の日本で生まれた私には望むべくもないうらやましさである。

 彼のような天才にはありがちだが、学生時代の成績はよくなかった。自分がある点で先生より優れていることに気付いて高校を中退し、学士を取ったのがなん と36歳である。だが、学歴と彼の業績のギャップをおもしろおかしく強調しても何の意味もない。
 学士を取るまでに大学を渡り歩き、院生のときにすでに講師を任されるほどの実績を重ねている。彼は学位になどとらわれずに興味のある分野へ次々と転身し た。その間の生計を立てるためのピアノ講師や手品でさえ、何一つ嫌いなものはやらなかったのがスマリアンのすごいところだ。


 レビューはここまでとするが、この悪訳をこのまま見過ごすわけにはいかない。まずは最もひどい部分を2行引用する。第3部は、著者の知人が本書に寄せた 言葉なので、訳者が気を抜いたのか、人によって文体が様々だから慣れなかったかのか、特に訳が生硬である。
 「レイモンドは、常にとても大らかで親切で親身になってくれる人格を持っている。 とくに彼がもう一人の偉大な人間、彼の妻ブランシェと一緒にいるのを見ることは楽しかった

 他にも、「3/2音階」は半音と全音のどちらが基準か分からない。作曲家シェーンベルクをショーンバーグとしている。犬を受けた代名詞(her)を「彼 女」と訳している。子供に犬を呼ばせるなら「犬ちゃん」より「ワンちゃん」だろう。ジョークを言う人の意味で「ジョーカー」と言っても、日本人はトランプ のカードしか思い浮かばない。おそらく不定のyouを「あなた」と訳出している。くそ真面目な会話処理も目立つ。
 百歩譲ってこういう表現は訳者の専門ではないからと擁護すればどうだろう。原文を持ち出さねば説明のしようがない駄洒落も、文学でなければ仕方ないだろ う。明かな誤訳も全部なくすのは難しい。否定疑問に対するイエスノーの日英の違いは扱いにくい。バーモント州の会話を東北弁を使ってユーモラスに表現する 等の工夫は見られる。

 しかし、以下の論理パズルはいただけない。これも、訳者がしょせん一般人向けの論理学の本を書かないからで済まされる問題だろうか。「パズル6」の問題 (意味を損ねない範囲で簡略化)と解答を以下に引用する。
問題
 王は三人の大臣志願者に目隠しをさせて、彼らの額に切手を貼り、切手は赤か緑のどちらかだと告げた。実際はすべて赤だった。目隠しが外されて各人は他の 二人の額は見ることができた。王が「少なくとも赤い切手が1枚見える者は手を挙げよ」と言うと、全員が手を挙げた。「それでは自分の切手の色がわかる者は 手を下ろせ」と言うと、三人の中でいちばん賢い者が手を下ろした。どうやって見分けたのか?
解答
 三人の大臣志願者をA,B,Cとする。さらに自分の額の切手を見分けた賢い者をCとする。Cは、もし彼の額の切手が緑であれば、Bは、Aが赤い切手を見 たと知っていることから、Aが見たのはBの額の赤い切手であることを知り、その結果、Bが手を下ろしたはずだと考えた。ところが、Bは彼の手を下ろさな かったため、Cは彼の額の切手が緑ではないことを知ることができた(同じ理由から、もしCの額の切手が緑であれば、Aもまた手を下ろしたはずである)。

 ベストセラー『頭の体操』等で周知の人でも、この解答の分かりにくさ(読みにくさ)には閉口しないだろうか。リライトしてみる。こういう説明は分かりや すさを優先して大なたを振るわねばならない。
  三人をA,B,Cとする。そして賢者をCとする。Cはまず、自分の額の切手が緑だと仮定してBの行動を推理した。Bは、Aがまず手を挙げたのは、Aが Bの額の赤い切手を見たからだと考える。それならBは自分の額の切手が赤と分かって手を下ろしたはずである。ところが、Bは手を下 ろさなかった。だから、Cは自分の額の切手が緑ではないと分かったのである(Aの立場から考えても、もしCの額の切手が緑であれば、Aも手を下ろしたはずで ある)。

 「訳者あとがき」には、『この本の名は』からの引用に[原文から直 訳]と但し書きを付けたり、本文に関しては、「できるだけ日本語の文章として読みやすくなるよう意訳した部分が多いことを、最初にお断りしておきたい」 と、最後まで笑わせてくれる。意訳より主語と所有代名詞を削る方が先だろ。
 訳者が、本書がスマリアンの論理学における専門的な話に触れていないことを残念がり(だからうまく訳せないのか?)、さじを投げた音楽やチェス等につい ては専門家の解説を聞きたいと、本音で締めくくっている。スマリヤン本の訳が3冊目の訳者の発言とは思えない。今後読むなら原書にする。
天才スマリヤンのパラドックス人生 ゲーデルもピアノもマジックもチェスもジョークも
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posted by 水野優 at 17:27| Comment(3) | チェス(和書評) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本書のパズルの意味(と解答)がよくつかめなかったのは戦後9年生まれの小生の頭が劣化しているため(だけ)ではないようで少し安心しました。
戎棋夷説さんが入手予定の「Chess Bitch」などは読み物として面白いものだったら翻訳にチャレンジされたらいかがでしょうか。内容が気になりますね。
Posted by ha4shu2 at 2005年12月16日 00:54
 うわ、大先輩じゃないですか。パズル解答はもっと親切に書いてもいいくらいと思います。
 女性プレーヤーの本も興味ありますが、maroさんのレビューを待ちます(笑。amazonにスタントンの『手引書』の安いのが復活したので今日注文しました。著作権切れ本をガンガン訳していけば志ある出版社は放っておかないかも(甘〜い。
Posted by 水野優 at 2005年12月16日 15:19
パラドックスとかゲーデルの所も読んでみたいですね。「チェスの花火」にはゲーデルに影響を受けたと思われる個所があるんです。
Posted by kathmanz at 2005年12月16日 16:21
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